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三宅香帆の今月の一冊 the best book of this month

今月の一冊は、少女漫画界における若き才能同士の葛藤が綴られた自伝『一度きりの大泉の話』(萩尾望都 / 河出書房新社)

今月の1冊、『一度きりの大泉の話』(河出書房新社)

書籍:『一度きりの大泉の話』
(萩尾望都 / 河出書房新社)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/296758/

 

選書理由

少女漫画ファンとしては言及せざるをえない、萩尾望都先生の自伝『一度きりの大泉の話』。もう出版されると聞いた当初から、友人たちとそわそわしてました。どんなこと書かれてあるのだろう、と。いや読んだ後は、そわそわしていた自分に罪悪感を覚えましたが……。

ブックレビュー

 時々、漫画の講義や講演をした時、「漫画家になるにはどうしたらいいですか」と聞かれます。
「作品を描いて完成したら、人に読んでもらうといい。人の意見を聞くことは大切なことです」と答えます。そして「もう一つ大切なことは、人の意見を聞かないことです」
 そう言うと、大抵どよっと笑いが起きます。
 そうなんです。独りよがりにならないために、人の意見を聞く。でも自分の作品の大切な部分を守るためには、人の意見を聞かない。相反することですが、双方必要です。どこまで聞くか聞かないか。自分で判断し、自分で責任を取る。これが作品に名前を出すということなのだと思います。
(萩尾望都『一度きりの大泉の話』p30-31、河出書房新社)

そう、人の意見を聞きつつ、人の意見を聞いてはだめなのだ。作品を――自分の魂を込めた創作物を、かけらであっても、世に出すためには。
萩尾望都という、少女漫画界においてはレジェンドともいえる作家が、そう語る。さらりと書かれてあるが、とても重い言葉だと思う。
ただ漫画を描くだけなら、人の意見を聞かなくてもいい。あるいは、人の意見を聞きまくってもいい。
だけど、漫画を自分の名前で世に出すには。プロの漫画家としてやっていくには。それではだめなのだ。
人の意見を聞く、つまりはその時求められる流行や読まれ方を客観性に判断する。それでいて、人の意見を聞かない、つまりは自分の作家性を失ってはいけない。
そして一度作品を世に出せば、これは自分の名のもとに書いたのだと言わなくてはいけない。誰に批判されても、これが自分の作品だと胸を張らなくてはいけない。
冷静に考えてみれば、作品を自分の名前で世に出すことは、なんて過酷な行為なんだろうと思う。
少女漫画家のデビューは総じてはやい。20歳やそこらの女の子たちが、プロとして漫画を描いてゆく。
『一度きりの大泉の話』に登場する、萩尾望都も、竹宮惠子も、当時20代前半で、すでに自分の名前で作品を発表している。そして今に至るまで、ずっと自分の名前で、作品を世に送り出し続けている。
それがどんなにも、覚悟が必要で、苦しい行為なのか、萩尾望都でも竹宮惠子でもない私たちには、誰にもわからない。

かつて少女漫画ファンの間で「大泉サロン」と呼ばれた家があった。竹宮惠子と萩尾望都という少女漫画界のレジェンドと呼ぶべき作家たちが同居し、当時の少女漫画家たちが出入りしていた借家のことだ。
その「大泉サロン」時代の思い出を、2016年に竹宮が『少年の名はジルベール』(小学館)という自伝で語った。すると萩尾のもとには、たくさんの連絡が届いたらしい。大泉サロンのことをドラマ化してほしい、当時の思い出を対談してほしい、と。
しかし萩尾は当時のことを語る気は微塵もなかったため、連絡してこないでほしいと心底願った――そんな経緯があって、萩尾は本書『一度きりの大泉の話』で本当に一度だけ語ることにしたのだという。
そして刊行された本書に綴られていたのは、少女漫画界における若き才能同士の葛藤と、それがもたらした傷跡だった。

今になってみれば、竹宮惠子も萩尾望都も才能の塊だったことは自明である。ひとつのジャンルで伝説になるくらいに。
しかし当時はそんなこと、誰も分からなかった。
当の本人たちはもちろん、編集者でさえ、50年後こんなふうに自伝が立て続けに出版される作家になるなんて、きっと予想していなかった。なんせ、時代はまだ少女漫画というジャンルすら、大人たちはほとんど見つけていなかったのだから。
しかし彼女たちはたしかに自分の才能をその腕に持っていた。そして考えていたのだろう。これから、どうすればその才能を紙の上に落とし込めるか、そして漫画雑誌や単行本に自分の魂を込められるか、どうやったらそれを世に流通させられるのか。
作家性を守りつつ漫画家としてやっていく稼ぎを得ることは、今も昔も困難な道のりだ。生半可な覚悟でやれることではないと思う。
才能は、たしかに自分の才能をどうしたら発揮できるのか、考えた者にしか訪れない。
それはどんな天才であっても、変わらないと思う。
モーツァルトだって、ピカソだって、萩尾望都だって、竹宮惠子だって、まだ作品を世に出してなければただの凡人なのだから。
『一度きりの大泉の話』を読むと、大泉サロンの人間関係がもたらした傷に、読者までヒリヒリと痛くなってしまう。「あの大作家たちの間で、こんなことが」と驚いてしまう。
しかし一歩立ち止まって考えてみれば、傷は大きくて当然なのだ。
作品を世に出すという、過酷で、残酷な行為を、若くして為そうとしているふたりなのだから。
そんなふたりが、作品を巡って葛藤して、傷つかないわけがない。それは「若いんだからいろいろある」とかそんな言葉で収めることではないんだろう。
ただただ、自分の才能や、自分に見えているビジョンを、どうやって作品として世に出すか? それを切実に考え、試行錯誤している者同士だからこそ、起きた出来事なのだろうと思う。

作品を自分の名前で世に出したいなら、人の話を聞きつつ、人の話を聞いてはいけない。
こんなふうに説く漫画家が昔、いかに人の話を聞こうとし、そしていかに人の話を聞かないように努力し、苦しみ、もがいたか。
自分の描きたい世界を、他人が非難してくる言葉から、どのようにして守ろうとしたか。
『一度きりの大泉の話』は、そんな葛藤がもたらした痛みが、まざまざとまだそこに存在することを伝えるからこそ、こんなにも私たちの心に突き刺さってしまう。

 

この本を読んだ人が次に読むべき本

書籍:半神
(萩尾望都 / 小学館)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/261135/

〈おすすめポイント〉個人的に好きな萩尾望都作品。短編集なのですぐ読めます、が、短編とは思えない読後感に驚いてしまうはず。表題作は、双子である妹への葛藤を描いた名短編です。

書籍:地球へ…
(竹宮惠子 / スクウェア・エニックス)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/5629/

〈おすすめポイント〉SF少女漫画は面白いのだ。この作品を読んだらきっとあなたもそう思う。単行本で三巻と意外と短いのだけど、こちらも巻数からは想像できないほど深く解釈させられる物語。

 

Kaho's note ―日々のことなど

萩尾先生や竹宮先生の作品をすべて読んでいるわけではないのですが、それでも心揺さぶられざるをえなかった『一度きりの大泉の話』。同じように少女漫画ファンの友達とも、この本についてはじっくり話しました……。あと最近電子書籍で『残酷な神が支配する』と『マージナル』を読みました。名著でした。

 

三宅香帆さんが選んだ1冊は、本が好き!月間ランキングから選出いただいています。
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著者略歴

  1. 三宅香帆

    1994年生まれ。高知県出身。
    京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程を修了。現在は書評家・文筆家として活動。
    大学院にて国文学を研究する傍ら、天狼院書店(京都天狼院)に開店時よりつとめた。
    2016年、天狼院書店のウェブサイトに掲載した記事「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫」が2016年年間総合はてなブックマーク数 ランキングで第2位に。選書センスと書評が大反響を呼ぶ。
    著書に外国文学から日本文学、漫画、人文書まで、人生を狂わされる本を50冊を選書した『人生を狂わす名著50』(ライツ社)ほか、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室 』(サンクチュアリ出版)『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)『妄想とツッコミで読む万葉集』(大和書房)『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文 (14歳の世渡り術) 』(河出書房新社)。2023年5月に『名場面でわかる 刺さる小説の技術』(中央公論社)、6月に『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を刊行。

    Twitter>@m3_myk
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    三宅香帆の文学レポート
    https://cakes.mu/series/3924/
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