今月の一冊は、現実とフィクションの狭間の絶妙な場所を陣取る切実さに目を凝らすディストピア小説『ミルクマン』(アンナ・バーンズ / 河出書房新社)
今月の1冊、『ミルクマン』(河出書房新社)
書籍:『ミルクマン』
(アンナ・バーンズ,栩木玲子(翻訳) / 河出書房新社)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/295593/
選書理由
海外文学好きの間では話題になっていた、ブッカー賞受賞作。語り口が特徴的なのですが、そこに隠された少女の憂鬱が印象的な物語でした。
ブックレビュー
18歳の少女がストーカー被害に遭っているらしい。ストーカーの名は「ミルクマン」。 ミルクマンの正体は、どうやら反体制派のリーダーらしかった。 少女は古い本が好きで、本を読みながら歩くという不思議な癖をもっている。彼女の言葉で物語は進む。
「ちょっと待って」と私。「あの男がプラスチック爆弾を仕掛けるのがよくて、私が公の場所で『ジェイン・エア』を読むのは悪いって言うの?」「公の場所で読むなって言ってるんじゃない。歩きながら本を読むなって言ってるの。みんな、それが気に入らないんだから」
(『ミルクマン』p214)
本書の特徴は、どこにも固有名詞が出てこず、登場人物は皆愛称で呼ばれるところ。さらに彼らの容姿すらあまり詳細には描かれない。
そもそも、ディストピア小説らしく、舞台や時代も明示されない。一応北アイルランド紛争を彷彿とさせる戦時中ではあるのだが、名前のない街――ただ閉鎖的なコミュニティの中で生きる少女の日々が、描かれているのだ。
しかし固有名詞が存在しない、不思議な小説であっても、最後まで読めてしまうのは、その語り口がなんとも不思議で気になるものだから。
語り手の少女のまくしたてるような一人称文体が、本書をじわっと背中に嫌な汗をかいてくるような物語にしているのだ。
これまでの人生で、人を引っぱたいてやりたいと思ったことが三回、銃で顔をぶん殴ってやりたいと思ったことが一回。銃でぶん殴った経験はあるけど、引っぱたいたことは一度もない。引っぱたいてやりたいと思った三回のうちの一回は、一番上の姉が駆け込んできて、ミルクマンが国側に射殺されたと私に告げたときだ。ミルクマンとはその晩会うことになっていた。姉は、あの男が私の恋人で、私が大切に思っている相手だと信じ込んでいて、そいつが死んだものだから、ウキウキとうれしそうだった。知らせを聞いた私がどういう顔をするか、姉は私をしげしげと臆面もなく見つめた。
(『ミルクマン』p326)
彼女がミルクマンと付き合っているという噂は、次第に彼女を追い詰める。母も姉も、それを無批判に信じ込んでしまう。反体制側であるミルクマンは、「こちら側」の敵なのだ。
家族でも近所でもお互いを監視しているような社会で、少女がサバイブしていこうとする様子は、読んでいてなんだか切なくなる。
本書に特徴的な一人語りすら、なんだかサバイバルするためのテンションを上げる証のように思えてくる。
男性や親からの目線をかわし、どうにか生き延びようとする主人公の姿。
その様子はどこか痛々しく見えるのだが、一方で、それが現代を生きる少女たちの生きづらさと重なってしまうからこそ、気になって続きを読み進めてしまう。
少女目線のディストピアは、これだ、と作者の叫びが聞こえてくるようでもある。
抽象的な物語でありつつ、一方でいやなリアリティもものすごくあるという不思議な読後感。それは、この小説が現実とフィクションの狭間の絶妙な場所を陣取り、作者が切実なことを描こうとしているのだという迫力があるから成り立っているのだと思う。
この本を読んだ人が次に読むべき本
書籍:『1984年』
(ジョージ・オーウェル ,新庄哲夫(翻訳)/ 早川書房)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/261135/
書籍:『侍女の物語』
(マーガレットアトウッド ,斎藤英治 (翻訳)/ 早川書房)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/46286/
こちらは名作フェミニズム・ディストピアSF。『ミルクマン』が少女目線だとすれば、『侍女の物語』はもうすこし大人の女性目線かも。女性たちの分断、家父長制について考えたいときにおすすめです。
Kaho's note ―日々のことなど
いきなり暑くなりましたね!? 相変わらず在宅勤務で引きこもっているのですが、たまに真昼に外へ出ると、あまりの暑さに驚いてしまいます。日傘が、日焼け防止というよりは熱中症防止のためになりつつあります。みなさんもどうか水分補給を忘れず、夏バテにお気をつけて!
三宅香帆さんが選んだ1冊は、本が好き!月間ランキングから選出いただいています。
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