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三宅香帆の今月の一冊 the best book of this month

今月の一冊は、アガサ・クリスティが別名義で発表した人生という名のミステリ『春にして君を離れ』(早川書房)

今月の1冊、『春にして君を離れ』(早川書房)

書籍:『春にして君を離れ』
(アガサ・クリスティ, 中村妙子(翻訳) / 早川書房)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/6650/

 

選書理由

大好きな小説がランキング1位に選ばれていて、ずっと読み継がれる名作だよなあと感動して選びました!

ブックレビュー

ミステリの女王、アガサ・クリスティが筆名を変えてでも書きたいと思った作品が本書だった。そう思って読むと、クリスティの「ミステリ」とは、本質的には人間の心が見えなくさせているものを解き明かす旅なのではないか、と感じてしまう。つまり、ミステリをミステリたらしめているのは、人間がなにかを隠そう、見えなくしてしまおうとする心理なのではないか、と。

『春にして君を離れ』の作者の名はメアリ・ウェストマコット。クリスティの別名義で発表された小説だ。そのため、いつものアガサ・クリスティテイスト――探偵がいて、不可思議な謎があって、謎解きがある――を求めて読むと「なんだこれ?」と首をひねることになるかもしれない。しかし読み進めてみると、たしかにこれはアガサ・クリスティの物語だ、と思うことになるだろう。なぜなら一見何の問題もない主人公の主婦には、まるで推理小説のトリックのように、読者には隠された本当の姿が隠れているからだ。

主人公はイギリスに生まれ育った主婦・ジョーン。子供にも夫にも恵まれ、幸福な人生を歩んでいることを自覚している女性である。そんな彼女が旅先のバグダッドから帰る電車に乗っているところから物語は始まる。旧友とはまったく違う、幸せな人生を歩んできたと自分では思っている。

そして彼女は回想し始める。彼女の人生を。
自分の姿は、自分では見えない。『春にして君を離れ』という作品を読んでなによりも痛感するのはそこである。ジョーンの自己認識と他己認識は、どうやらかなりずれている。しかし自分がか幸せかどうか決めるのは自分だし、正直、自分さえ騙すことができていれば皆幸せになることができると思う。では他人から見た自分の姿というものは、本当に見つめようとしなくていいのだろうか? きっと読む人によって解釈や判断は異なるのだろう。

これが自分だと思っている姿が、他人からまったく違う姿で認識されているとしたら、少しはショックを受けると思う。しかし私たちは真実を見たところでとくに幸せにはならない。だとすればジョーンはどうすればよかったのだろう。隣にいる人を多少不幸にしたとしても、自分さえ幸せだと思っていれば、他人や自分の不幸を見つめようとしなければ、幸せになれてしまうのが人生なんだなと本書を読むたびに思う。だけど私たちは、それで満足するかというと、どうなんだろうなと首を傾げてしまうのも本当だろう。
他人から見た幸せを優先しすぎても、本人は幸せになれない。だけど他人のことを傷つけ、それでも本人が幸せであれば、それは満足できる人生といえるのだろうか。
この問いかけが、小説のなかで始終繰り返される。真実は必ずしも幸せにつながらない。ジョーンの選択を見つめるたびに、解釈が変わって来るような気もする。

この本を読んだ人が次に読むべき本

書籍:愛の重さ
(アガサ・クリスティ, 中村妙子(翻訳) / 早川書房)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/29502/

〈おすすめポイント〉クリスティがおなじくウエストマコット名義で出版した一冊。姉妹の愛憎を描いていて、クリスティにしか書けない「家族の謎」に迫った小説となっている。

書籍:葬儀を終えて
(アガサ・クリスティ, 加島祥造(翻訳)/ 早川書房)
書籍詳細URL:https://www.honzuki.jp/book/42833/

〈おすすめポイント〉
ある館の主人が殺されたらしい。名探偵ポアロが活躍するシリーズなのだが、ミステリというよりホラーでは? と思うほどじっとりと恐怖する物語。クリスティ作品のなかで好きなものを挙げるとしたらこれは入ります!

Kaho's note ―日々のことなど

アガサ・クリスティ、好きなのに全作品読めていない。「いつか暇ができたら全部一気読みしたい」作家のひとりなのですが。その夢を持ち続けて早10年くらい、一体いつになったら一気読みできるのか。じわじわ読み進めているものの、いろんな場所でネタバレされているので早く読み切っちゃったほうがいいのかもしれない……とよく思います(笑) あなたのベスト・オブ・クリスティはどれでしょう。

三宅香帆さんが選んだ1冊は、本が好き!月間ランキングから選出いただいています。
月間ランキングはこちらから
本が好き!2022年3月月間人気書評ランキング

 

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著者略歴

  1. 三宅香帆

    1994年生まれ。高知県出身。
    京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程を修了。現在は書評家・文筆家として活動。
    大学院にて国文学を研究する傍ら、天狼院書店(京都天狼院)に開店時よりつとめた。
    2016年、天狼院書店のウェブサイトに掲載した記事「京大院生の書店スタッフが「正直、これ読んだら人生狂っちゃうよね」と思う本ベスト20を選んでみた。 ≪リーディング・ハイ≫」が2016年年間総合はてなブックマーク数 ランキングで第2位に。選書センスと書評が大反響を呼ぶ。
    著書に外国文学から日本文学、漫画、人文書まで、人生を狂わされる本を50冊を選書した『人生を狂わす名著50』(ライツ社)ほか、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室 』(サンクチュアリ出版)『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)『妄想とツッコミで読む万葉集』(大和書房)『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』『女の子の謎を解く』(笠間書院)『それを読むたび思い出す』(青土社)『(萌えすぎて)絶対忘れない! 妄想古文 (14歳の世渡り術) 』(河出書房新社)。2023年5月に『名場面でわかる 刺さる小説の技術』(中央公論社)、6月に『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない―自分の言葉でつくるオタク文章術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を刊行。

    Twitter>@m3_myk
    cakes>
    三宅香帆の文学レポート
    https://cakes.mu/series/3924/
    Blog>
    https://m3myk.hatenablog.com/

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